2004年12月アーカイブ
明日から酉年だが大晦日の今日、島田氏はウチの女房にヘンなものをプレゼントに来た。プレゼントというより、事前に電話で「受け取っていただけますか」と打診してきた。モノは赤いパンティである。何かいわれがあって申年の男性は申年のうちに高年になっても下の方の病気にならないため赤い下着を沢山の女性にもらってもらうと良いそうだ。モノがモノだけに誰にでもという訳にはいかない。黙って渡せば明らかに「ヘンな人」になってしまう。お願いするにも勇気がいるが勇気はたっぷりある島田氏の事、といっても照れくさいのか仲間の喜知子さんを伴ってきた。

私はヘンなパンツより喜知子さんの持ってきてくれた手作りの奈良梅の方がいい
年末のヘアーズを手伝うと久しいお客様に何人も会う、また懐かしがられたりするから楽しい。20数年ぶりに見るこのお客様は当時とても変わった中学生だった。妻の祖父は97歳まで生きたがニワトリが無類に好きで数も品種も多かった。そのころ良く学校帰りの彼はおじいちゃんのところへ寄って遊んでいたのを私も覚えている。やはりニワトリが好きで自室でニワトリと寝たなんてヘンな中学生だった。懐かしく正之助おじいちゃんの話になり「私は子供のときいい人に会えた。あんなにニワトリを愛している気骨の人は今はいません。何の世界でもあのような人には出会わないもんです。だからおじいちゃんのお墓参りをさせて下さい。」早くに亡くなった彼のお父さんは群馬大学の教授だった。彼の名刺は順天堂大学医学部講師、医学博士とあった。来年はとり年、おじいちゃんの仏

▲週に2回、彼の実家の近くを散歩する時「ヘンな中学生の実家だ」なんて思いながら通っていた
一昨年の夏、S君は高校3年の最後の夏休みを近くの雑木林を使って友達数人とサバイバルゲームをやっていた。サバイバルゲームは色々な道具が揃っているが赤外線スタンガンで相手をキャッチすれば得点になるようで、野原を戦場に見立てて遊ぶ。昼の長い時期だから8時過ぎまで遊んで自転車で家路に向かったら、突然動けなくなり通りかかった人に頼み、家族を呼んだ。以来1年9ヶ月彼の下半身はピクリともしなくなってしまった。まったく原因不明、小さな車椅子からヘアーズの理容椅子に移るのにガッシリした躯体は不便だと言う。今、新しい仕事を得るためにプログラマの訓練をしているようだが彼自体、そしてS君の家族の明るさが最大の救いと力。

7年ぶりに杵つきのからみもちを食べた。うまい、うまい。サロンスタッフの弥生さんの実家はご両親が趣味の農家をやっているらしく自給ができるそうだ。本当なら私も杵を持って手伝わせてほしいもんだが、いまだに本格的な餅つきをしたことがない。7年前陽山舎でさんまパーティーの前身とも言うべき餅つきパーティーをしたことがあるが道具とスタッフを揃えるのが大変だったので1回で終わってしまった。いつかは私も我が家で休日の1日を餅つきで楽しみたい。いつでも良い訳じゃなくやっぱり年末の28日がいいだろう。石臼の立派なのはある、あとは時間と腕っぷし。

10月に次男貴彦が前橋に出店したとき、私は応援に行きチラシのポスティングを2日間やった。主に団地だったが区画され、入り口が使える面にあればほとんどが同じようなレイアウトにならざるを得ないのだろう。もっとも郵便、新聞などの配達は画一化されたほうが効率がいい。ポスティングして感じたのはブロック塀や門扉に埋めこまれたポストが一番入れやすい、又、そのポストの質でその家の風格も分るような気がするし庭の手入れが無く、家の掃除が行き届いていないような家はポストもそれなりだった。我が家のポストをチェックした。使えるが新築時だったから古ぼけてきたそれにGS1♂が小さい時金属棒で叩いたようで側面に凹みが沢山あった。ほぼ同じようなタイプのエンボス塗装のポストを設置しなおした。

こんなことあまり書きたくないけど、つくづく確実に年を重ねていると感じる。あと2年で還暦だから、あったりまえだが。年末の忙しさを息子のヘアーズで仕事をしている、私たちが全盛期の半分くらいの忙しさだがそれでも年末だ、といってもこのように私は昼食に少し離れたうどん屋へ来ている。格子の入口外に数人の客が車から降りて入ってきた。一人は入るのにだいぶ時間がかかる、見た事のある男性が4本足の付いた杖を突いて婦人を伴って入ってくる。私は頭の中で「20年近く見てないから変わったろうが多分Nさんだろうな」と思ってその4人の会話を聞いていた。会話の中に私の知るその人の友人の名前が出た事で「間違いない」と思った。私より2歳ほど上だろうか脳梗塞のようだった。私も充分その年齢期にある。

▲Nさんは明るい人だったから活発に行動するだろう
コメンスメント、終了であり、出発の意味だそうで、まさに富弘美術館は今日が13年間続いた富弘美術館の終了日で明日から新富弘美術館の準備に入る。夕刻から始まった式典に出るため暮れのい忙しい時期だが出てきた。丁度、富弘さんも到着したところで一緒に美術館の裏手のガーデンで草木湖の美しい夕日を見ることが出来た。稲田祥子さんのダイナミックな電子ピアノ演奏で始まり、我が富沢さんたちが富弘美術館から感謝状を授与され赫々の挨拶のあと新富弘美術館のカフェで腕を振るうコックさんが用意した立食でパーティとなった。その後、奥平さんマリンバ演奏が行われ最後の演奏を蛍の光とし皆で合唱した。

▲横顔も美しい稲田さんの演奏に1時間聞きほれた
先ず、この写真の質感の言い訳、まだ日の出ていない6時半、10メートル離れて三脚なしでほとんど真っ黒け。補正で見えるようにしました。早朝体操モーニングスイート(MS)は桐生市体育協会が主催してその会長山田先生は82歳。毎朝、参加する人と同じメニューをこなしてゆく。驚くのはこの姿だ、今朝の気温はマイナス、その中を薄いポロシャツで毎朝私たちが競技場に入ってくるのを待っている。私は厚手のトレーナ、冬用ウインドブレーカ、手袋、耳あてである。先日先生に寒くないのですかと聞いた。答えは「海軍の仕官学校では真冬、未明の海の氷を割ってカッターボートを漕ぎ出し、太陽が昇るとカイで敬礼するため垂直に立てるのです。素手に凍るような海水が滴り、ひびに痛くても寒くてもカイでも落とせば冷たい海に放り込まれる。だからこんな寒さはだいじょうぶ」

▲大正生まれの気骨、海軍の精神、私に昭和の気骨があるだろうか
天皇誕生日、早朝から今年最後の国旗掲揚。今年の皇室は良しに付け悪しきに付けガタガタしていたようで随分気を遣われたろう。誕生日に際しての天皇のコメントは平凡な生活なんてどこにも無いって事を言っているようにも聞こえた。平凡でないから楽しい、少しの平凡が安らぐ。平凡非凡の私も6人の孫たちにXmasのプレゼントを用意して午後からは出店したばかりの次男の店に行った。第二弾のポスティング内容がうまくないのでポスティングのし直し相談をした。料金の見直しをどうするのか、1ゲストのタイムラグをどうするのか、桐生市商圏とはまったく違うコンセプトで練り直そうという事になった。

▲そのままクリスマスが出来るようにチーズケーキ、シャンメリーもつけて持参した
現行富弘美術館へ移管まで残り3日のカウントダウンの最中、熊本県からお二人のお客様がおいでになった。熊本県にある芦北町は7年前から熊本県立美術館の坂田氏の勧めで町営温泉の階上に富弘ギャラリーを開設している。もちろん原画は無く10点のリトグラフが中心でカレンダーの絵を額装して展示しているが好評のようだ。今春、町長と木村課長がおいでになった時は富弘さんから色紙が用意されていた。今回の来県目的は芦北町が作るミニ美術館の名称、リトグラフの製作許可などで、いずれも富弘さんは快諾した。芦北町、町長、課長、そして坂田氏への信頼が高かったのだろう。

▲富弘さん宅訪問の前に解体閉館前の富弘美術館で囲む会と記念撮影に収まる坂田氏と木村氏
19,20日の連休にいくつかの宅配便があったようだ。サロン入り口のドア下でカサコソ音がするので見てみると運送会社のメッセージが落ちていた。およそ大事に扱われた紙片ではない、読まずに捨てようかと思ったが捨てなくて良かった。内容は「留守中に配達に来たが」というものでその紙片に書かれたフリーダイヤルに電話をするとガイダンスでその紙片に記入してある数字を電話でプッシュする。完了すると現在以降の時間帯で配達の予約が成立する。その間運送会社の人と話をするわけじゃない、電話ロボットとガイダンスのやり取りで次の配達希望日をセットするといった具合でいまさらながら「へぇ~」だった

▲'人間’とのやり取りは無いのにその時間にちゃんと荷物は届いた。
この25日で現行富弘美術館は完全閉鎖され来春まで休館、現富弘美術館の内部を囲む会の大澤和子さんは記念のため美術館に依頼され思い出深い館内を丁寧に撮影した。ほぼ出来たアルバムを見せていただいたら、これが写真集のように素敵だ。大澤さんにご無理を言って私の分も焼き増ししてアルバムに仕上げてもらった。何度も訪れている美術館だから、どの写真も懐かしくこれが数日後からは解体が始まるかと思うと寂しい。今アルバムを開くだけで館内の静かで心地よい雑音も感じとれ、2階ビデオコーナーの音声が聞こえてくるような色合いと品のあるいい写真ばかりだ、もちろん非売品だから私の極上の宝物になった。

▲たぶん同じような物が新富弘美術館でも見られるかも
正確には七五三は11月15日で普通、その10日前ぐらいからが解禁だろうかGS2♀真優ちゃんの七五三はなんと12月19日の今日、今にも雪が降り出しそうな寒い中、新田町の生品神社へ参拝した。何も好き好んでこの日にしたわけじゃなくて当初11月に予定していたが母親である娘の都合がつかず12月の初旬に、ところが今度はGS4♂の陽七薫くんが2日にRS感染で肺炎入院。結果この日になってしまった。向こうのお父さんお母さんもやや病弱なところを無理して寒い中出てきてくださった。写真館で撮った記念写真よりこの寒そうな写真の方が彼女には暖かい思い出になるかもしれない。

▲スーツではあまりに寒いので車中にあったジャケットをはおった
興味しんしんをご愛読の皆様、本日私奴は、ん十八歳になりました。いわゆる誕生日、四十八歳?って間違えてくれるととてもうれしいという歳です。w(^o^)w 周囲の人の誕生日はメモを活かしてお祝いメッセージを贈ろう思っていて忘れてしまうくらいだから、私にだった何のメッセージが来なくったって当たり前、それでも昨日はサロンの弥生さんが「マスターみかんが好きだからお誕生祝い」とプレゼントしてくれた。時間がたった今のほうがうれしさを感じる。今日あるのは私に関係する全ての方のお陰様、そしてその昔私を生んでくれた両親に感謝。今日はなんて殊勝なんだろ(^_^?

ダンボールで頂いたので、おしゃれにデコレートしてみた。一番好きな果物みかん
「忙中閑あり」なんて言葉があるが、事がうまく行っている時は「ナルホドな」なんて思うけど、こと年末になるとそんな悠長な事を言っていられないほど身辺が忙しい。シンペンというのはビジネス抜きであまり商売にはなってないということだ。常々、こんな事ではいかんぞと思うのだが人との交流もほっておけないほど大事なものだ、ESSの忘年会はとても無理だったのでお断りしたが「閑」を作ってわたらせ真向会の年次打ち上げに参加させてもらった。真向教室は火、木、金曜日の3教室に分かれているが今夜の宴はいつもは顔を合わせる事の少ない全教室の生徒さんと楽しい時間を過ごした。とりわけ最年長の藤掛さんの多芸ぶりりには皆、舌をまいたようで私も目標に置く楽しい実力者だと思う。

▲その藤掛大先輩は詩吟のあと八木節も披露してくれた
アメリカじゃ車検なるモノは無いそうで、それだけとんでもない事故も起こる。だから日本の交通事情は安全なのだろうが、その経費は高すぎる、ガソリンだってAmの倍以上するだろうし維持するのに金がかかり過ぎる。女房はしっかり者で以前から車検はここでやってみようと考えていたらしい、大型カー用品店がやっている車検工場へ持っていってほしいと頼まれ行って見た。きれいな受付室があって希望を言うと直ぐに車をジャッキアップして概略の見積もりをしてくれた。ブレーキ系統や電気系統がしっかりしていればほとんど車検は通るようで、エンジンオイルが少し位もれているのは保安上の問題ではないから整備するか否かはその場で客が選択できる。「発炎筒は期限切れなので交換700円です。」などと極めて分りやすい。

▲2時間後には「完了しました」と電話が入った
華やかな色遣いだからどこかのクラブみたい、生写真を載せると怒られそうなのでコラージュしました。昨夜の合同懇親会の席、ケイコさんとケイコさん、ん、もう一人ケイコさんがいたな。それほど東村のボランティア一粒の麦は名前からして学ぶ人が多いのかも知れない。このW・ケイコさんも前向き「自分のやれることは」と積極的に一粒に参加している。他にも年齢が大先輩の方が数人お出でになったが人の為に村の為に美術館の為にと労力を惜しまない熱意に感激した。そのような方は決まって背筋がピンとしている。

▲人のため世のためにと考えられる人は笑顔も余裕があって素晴らしい
12月も後半になると気ぜわしい、私も年内の宿題がどっさり残っているが年賀状は3日ほどの徹夜状態になっちゃう。「毎年の事なんだから1ヶ月前に書いちゃえば」と女房には言われるが、年の瀬が迫らないとなぜかデザインが決まらない作家の心境。年内にあと何回かの会合などがあるが今日は私たち富弘美術館を囲む会と東村地元ボランティア一粒の麦との合同懇親会をサンレイク草木でやった。両会でおよそ40名、会員の方はこれまで顔を合わす事が少なかったが来春の新富弘美術館以降は共同で行うボランティア作業も入ってくるだろうし、この様な顔合わせはしたかった。順不同のテーブルを囲み注しつさされつ交流を深めた。

▲18時半からの宴会は最終24時に及び数人が深夜のカラオケで交流した
だだっ広い家庭のリビングのような相生小学校の学童保育室。ここ数年前から各学校にこのような施設が設けられ、いわば鍵っ子を親の帰るまで有料で遊んでくれる場所らしい。GS1♂の孝行は学校の帰りにここでよく遊ぶらしく(もぐりということになる)最近、入所したいと言い出した。確かに私たち夫婦が帰るまで全くの留守宅ではないが祖祖父、祖祖母では物足りないらしい、結果TVかゲームに没頭するなら公衆リビングのような学童保育のほうがいいかも知れない。先週資料をもらい、担当者と会ってきて今日は運営する父兄代表に説明を受けてきた。運営は学校でもなく市でもなく父兄が遊んでくれる保護士を雇っているのだという運営は大変なようでバザーなどをしないと運営費が足りないとも言っていた。

▲冷蔵庫、茶だんす、流し、その前で勝手に遊ぶ子ら
丁度2ヶ月と言うか、たった2ヶ月と言うか、携帯電話を買い替えてしまった。番号はそのままの機種変更だがどうしても前機種「らくらくホン」は私の年齢にはピッタシしなのだが、あまりにも機能が少なくて結局使いにくいというより不便になってしまった。最大の理由はスケジュール機能がなかったこと、カメラ機能など要らぬが手帳を活用しない私には予定を書き込みその日の余裕ある時間にアラームなどで予定を知らせてくれる機能は重宝していた。別に電子手帳を持つほどではなく携帯電話で兼用できるのがいい、機種変更でお金がかかってしまい、私の不十分な判断で前と前々の機種が充分な働きもせずお蔵入りになった事を申し訳なく思う。

▲今度こそ死ぬまで使います。(^^)ヽ
大間々町で奇特で尊敬できる方、「虹の架け橋」と言う自前の情報誌を自社のPRに活用するビジネスマンでもある松崎さん、富弘美術館を囲む会と東村の合同懇親会に誘ったら「いま、酒の席はご法度のイエローカードが出ている」という。しばらく話もしなかったので本店に出向いてみた。来年は慎重のため入院するようだが見た目すこぶる元気、私と前後して真向法も始めたから出てこないので真藤先生も心配していた。今日も真藤先生とこんな話になった。真向法は毎日の修行、痛くてつらい、しかし、いまわが身に貯金しておけばしっかりした備えのある体力で楽しい老後が送れるよ。松崎さんも直ぐ復帰。

▲こ虹の架け橋112号に紹介された小林一恵さんの作品、なんともいい顔をしてる
初荷なんていうと、もう死語だろうか、正月は荷物を満載し、荷台に竹にのぼりをつけ、景気を誘うように走り回るオート三輪車の雄姿が懐かしい。若い人には図解で示さなくては何のことか分らないだろう。それほど年末年始はよく商品が動いたのだろう。今は年内に全て終了させ正月からアタフタしないようだ、オーラ化粧品も年末には商品の入荷が顕著だ。そのために倉庫を整理し商品の搬入に備えた。そして午後、ドカンと来た、運送屋さんが入り口まで運んでくれたが仕分けしながら棚にダンボールを並べるのは私で、移動を含め抱えた箱は100数十個、延べ1トン以上の物を動かしたことになる。日ごろのスポーツ鍛錬か疲れはしたが直ぐ風呂で体を休めたら回復した。年越しのめでたい初荷商品だ。

▲この30分後にはこの棚はいっぱいになった
福島県滝根町のあぶくま洞と隣接してある星の村天文台、先月、背戸峨廊ハイキングの折に寄って大野裕明台長の話を聞く機会があった。宇都宮の平野さんは大野台長が早朝のラジオ番組に時折出ている事で知っており、親しく楽しい話が聞けた。その大野さんが今朝の10時からNHKラジオに出演するというのでNHKのHPを検索、ゲストの大野さんの欄にコメントを書いた。移動中の車の中で1ヶ月半前の声と顔がよみがえってきた。中学生ころから天文に興味を持ち、家業をしながらのアマチュア天文家が台長になったいきさつも分かり興味深かった。娘の店に到着してからは携帯してきたトランジスタに耳をそばだてているとオーロラの話題の中で私が大野さんに書いたコメントが読み上げられた。

▲娘の店内でややボリュームアップして聞いていたら「来た!やった!」
私の家から西に150m、解体してるこの建物の脇を散歩で通る時、もったいないな~、ワンルームマンションにぴったしなんて考えていた。築30年以上たって基本設備が古いだろうが躯体としてもったいない。富士重工の子会社桐生工業KKは現在50人ほどで特装車だけを生産しているが、10年前までは500人の従業員がいて各地から来た若者がこの寮にもいた。其のころの課長さんはよくこう嘆いていた。「若い社員に注意すると会社を休んでしまう、場合によっては家に帰ってしまう。仕方なく其の社員の家に行って注意した事を謝って出社してもらうんですよ」こんな馬鹿げた事が十数年前のバブル日本企業では当たり前だった。「わが社へ入社すれば新車を提供します」なんて企業まであって馬鹿丸出しだった悲しい時代。

▲甘やかされた時代の若者は今どこへいるのやら
休みの日を使わなくては片付かない仕事がどっさりある。昨日、今日は連休だったが昨日はMMCの「鍋割り山頂からの夜景」があった。今日の午前は真向法道場で練習。家に戻り昼食後20分仮眠しサロンへ「休日出勤」し先ず、進めたい仕事5件を箇条書きにして目の前に貼った。ところが火曜日なので営業しているのかと思うらしく次々と電話がかかってくる。技術の予約、カレンダー販売の受付対応、看板屋さんが来て改修説明、ボランティアの方が来て決算試案、社外営業マンが来て商品の説明。私の方からは忘年会の申し込みを2件、囲む会の事務局へ文書作成してFAX、結局やりたい仕事の半分も進まない休日出勤。

▲4人の来訪者があり、3人にお茶を出し10件以上の電話対応があった
ほとんど真っ黒けの写真では感動も伝わらないだろうが、ここに立った私たち7人はあまりの美しさに、ため息ばかりだった。ハイキングクラブMMCの12月山行は赤城山系鍋割山から関東平野の夜景を楽しむものである。猛烈な寒さが予想できる事と真っ暗な登山道を下らなければならない事で参加者は少なくなる。午後1時に桐生を出発予定としていたが30分遅らせた事で山頂からの日の入りは見られなかった。残照のあるうちに宴のために煮込みうどんの用意をして夕闇を待つと絶好の気象条件が整い大きな光の粒が現れてきた。私はこの夜景の価値を香港の夜景を100万ドル、函館や熱海を100億円の夜景とするなら絶対200億と支持したい。

▲おいしいうどんを食べながら刻々と変わる夜景ショーに参加者は「夢のよう、本当に来て良かった」
恒例の児童作品展が今年も市民文化会館で行われている。ここのところトラブルメーカーのGS1♂孝行の作品も展示されているというので見に行った。(写真は小3の別の子の作品)5年間連続で作品展に展示された事は彼としても大きな自信であろう。トラブルの事にはもう触れなかったが、こんなすばらしい力があるのだから喧嘩なんかしちゃあいけない。それとは別に、オーラ化粧品ののぼり旗が川内町で1箇所、故意に壊されている。明らかに大人の嫌がらせであるがきれいに直してきた。ものを作る愛情のある人は決して人のものを壊さない。自分を大事にしてほしい人は他の人も大事にするんだよ孝行。

この作品は特に私のお気に入り、「楽しくラッピングする私」とあった
銀行からの振込み作業は結構な時間がかかり何とか合理的にしたいと思っていたが行動に移さず今日に至る。足銀にダイレクトブランチというシステムにインターネットバンキングがある、しかし足銀の経営形態が急速に変わり近くにあった相生支店も閉鎖されてしまった。その他この手のサービスをしている群銀の資料を見たが利用しないつきでもも基本料金が毎月取られてしまう。足銀はというと年に一度だけだから10分の1で済む。そんな訳でこのサービスは足銀を利用することにした。今期は黒字に転じたというから桐生支店ぐらいは残るだろう。それにしても次々と銀行が撤退してゆくのも寂しいもんだ。

▲ATM振込み機はいつも並ばなくてはならない
GS1♂孝行にあれほど注意しているのに、ましてや昨日も学校生活の事を聞き問題が起こりそうな話をしたので「絶対手を出してはダメだよ、手を出したほうが悪いよ。くれぐれも注意し、そのような友達を相手にするな」と言ったばかりだ。10日ほど前も男の子に暴力をふるって先生が心配して来た。今日は別の男の子にモップを投げつけ柄が頭に当たり一針縫うケガをさせてしまった。被害の子もふざけの中に入っていたからお母さんは子供の事でお互い様だからと言ってくれたが学校から電話があると冷や汗モンだ。

▲電話では大丈夫ですからと言ってくれたが孝行を連れて謝罪してきた
新田でサロンを経営する娘の松美から今朝からSOSが出ていた。GS4♂の陽七薫くんが調子悪い、どうしても午前の仕事がつぶせないから来て、という。私も女房も都合がつかず行けないのでオーラ素肌美サロンのスタッフ弥生さんに頼もうとしていたが、何とか夫婦で見るということになった。夕刻電話で肺炎のため入院させたと一報が入った。可愛そうに風邪をこじらせたのだろうか、その後の連絡で「RS感染」といってきた。風邪が原因で脳障害や体に不具合が残ることが知らされているから不安になった。面会謝絶の連絡のときは「ウヘッ」ときた。RS感染とはINで早速調べた。怖いインフルエンザとは違うらしい。それにしても小さい子の病気はかわいそうで心配。

女房にとっては待望の普通の洗濯機がきた。少ないスペースの休憩室に置く洗濯機だからドラム式にして天板上を使えるようにしたが結局は普通の洗濯機が一番使いやすいようだ。大型洗濯流しと洗濯機の間の15センチのところにピタリ、プラスチック製の収納箱があったがそれを加工して収めなくてはならない、写真の排水ホースはその下になり、まったく見えない部分になるが「ちょっと待って」とストップが入った。何かと思えばその排水ホースにラップを巻きつけた。??????まっ、いつもの事だけど、なんにでも汚れ止めである。何でも洗う、洗えなくっちゃダメ、だから我が家にはカーペットや玄関マットなどのケバケバフワフワしたものは一切ない。それにしても排水ホースよ、完璧に見えないよ。

▲先天的洗い○○だがここまでやるかね~
