2008年5月アーカイブ
横浜市で第4回アフリカ開発会議と言うのが開催されていたようだ。読売新聞の図のように世界貧国殆どがアフリカに集中しており、世界は今まで放置しておいたようなもんだ。こんな会議が持たれると言うのは遅すぎるけどいい事だ。ただ、中国のように資源目的が見え見えなのは品が悪いと思う。例えばケニア国民の殆どが1日1ドルでの苦しい生活を強いられている。ある国の元首は「コーヒー豆は1kg1ドルだ。それが英国に行くと15ドルになっている。我々が14ドル英国に支援しているようなものだ。」とウマい皮肉をいった。
▲世界中の弱い子供たちから救わなくっちゃ
NHK-TVもずいぶん変わったもんだ。今夜はギャグ漫画の天才、赤塚不二夫の特集番組を組んだ。天才バカボンでその天才振りを発揮した。残念なことに04年に倒れ、今も意識不明だそうだ。サザエさんの研究というのもあったがNHKはいくつかの大学専門教授に天才バカボンのパパの人格を研究してもらう。そこには赤塚不二夫でなければ発想しない天才ギャグがキチンと設計されていた。自らの天才ぶりも去ることながら天才タレントタモリを場末のスナックで発掘した事でも有名だ。
▲倒れて意識半分のなか、何を思ったのか診察をする医者に言った言葉がこれ、赤塚不二夫らしい
左で笑い転げているのはオーラ素肌美サロンスタッフの弥生さん、笑わしているのは2ヶ月ぶりに会った金子さん。同じ目的で時々会うことにしているがこの3ヶ月間は口内炎が出来るほど忙しくて疲れた。二日連続の雨で予定が狂い、時間が出来たので久々に二人で道場に行ってきた。帰りにサロンでお茶にしたが最近腹回りが太りメタボ寸前だといいコーヒーにクリームも入れなかった。
▲やっぱり運動不足で運動が嫌いなんだよね。
思い通りに行かないのが世の常だが、成り下がってないで思い通りにやる事も大事だ。とは言え、どの仕事を優先させるかと考えると途中変更を余儀なくされる事も仕方ないか。今日の第一予定は太田新田店の芝刈りだったがオーラ化粧品キャンペーンのDM製作が入って思いのほか時間をとられた。今日の芝刈りは諦めたが同窓会のOから電話。「3時の打ち合わせ約束どうした」エエッツ、4時って言ったろ?イヤN君には言ったが彼には言ってなかった。マズイ、DM製作途中で駆けつける。
▲会場や料理を頼むT社長と時間プランや料金交渉を始める。
今は生産していないがトヨタソアラと言えば高級スペシャリティーカー、初代ソアラから最終3代目までチーフエンジニアとして指揮を執った人が桐生市出身の人だった。更に中学は私と同じ東中学校だったとは更にオドロキだった。私も中学時代はカーキチで、本当は車に関わる仕事をしたかった。岡田氏のやって来た仕事は当時の初代パブリカやカローラのデザイン部門。まさに憧れで夢のような仕事だ。そんな車の開発秘話などの話かと思ったら、錆びれてしまった桐生市も視点を変えれば捨てたもんじゃないよと言う話。
▲初代ソアラの購入者、白州次郎とのやり取りの話を予想していたが、それらの自慢話を聞きたかった
午後からオーラ素肌美サロン太田新田店のビラポスティングをした。エリアを太田新田店から伊勢崎方面へ2kmほどの場所を選び県道で松ちゃんと分け紫外線の降り注ぐ炎天下、3時間近く歩き回った。この地区は昔からの農家が多く母屋からなる敷地の構成が皆同じなのに興味があった。いずれも街道から細い道があり、左側に外便所、右手に母屋その前が広い庭、その向こうが作業納屋になっている。申し合わせたように同じ配置なのは信仰めいて面白いが無頓着なんだろうか。
▲トウモロコシの苗が植えられていたがこの地区の人の性格は大らかなのか無頓着なのか
バターは3ヶ月くらいどこの店でも買えなかった。牛乳の生産量の落ち込みと海外、特に中国などの需要が高まったとニュースされたら直ぐにスーパーの店頭などから姿を消した。現物があるときは水や空気と同じように必要な時、自由に使えた。バターがしばらく買えなかったのでバターハーフのマーガリンや発酵バターを買ってみたが朝のオムレツやハムエッグには風味が乗ってこない。3ヶ月ぶりにバターが売り場に並んだがホンモノなのか、しっかりチェックをしたほどだった。
▲私が買ったときは10個ほどあり、「お一人様、1個」の張り紙があった
みどり市東町には富弘美術館の関係で沢山の知り合い、友人が出来た。しかしなかなかタイミングよく会えないものだ。そんな想いがT氏にもS氏にもそしてO氏にもあって、それならいっその事食事会で会おうという事にした。久々に会ったが、もっぱら明るい話題で大いに盛り上がり、お互いが友情を深めた。
▲持ち寄った山菜をてんぷらにしてもらったが絶品だった。
3ヶ月に一度、向こう3回(3ヶ月)の山行予定を立てるのがMMCハイキングクラブの役員会議で10名ほどで進める。今夜はMMCの総会で、全ての会員さんが参加でき向こう3回の山行予定を立てる会議にも参加できる。創設17年のMMCは会員さんがほぼ同じだから、やや高齢と言うこともあってここ数年ハイキングとしては活発ではない。平地だけを歩く「歩こう会」なら他にある。MMCはやはりハイキングまたは登山で行きたい。高齢でも楽しめる低山、高山がある。今夜のような沢山の集まりで登高意欲もわくものだ。
▲80名の総会員のうち3分の1以上が集まるがやはり女性パワーが強い
いよいよ始動したようだ。同級生のN君。先日やはり同級生のO君から電話でN君が同窓会会長を辞退するそうだと言うのでO君が後任をやるように相談に行ってきたばかりだ。するとN君がしばらくぶりに現れ、山岸君か、O君のどちらかに会長を頼むと言って来た。私は鼻から固辞した。現状の忙しさで今秋目標の同窓会会長はムリ、ただ、充分にO君をサポートさせてもらうと言うことにした。それにしても体調も仕事も一時は大変だったN君が還暦同窓会開催の責任を感じて動き出した事は歓迎だ。
▲それにしても同窓会の仕事が増える分だけまた忙しくなるぞ
はっきりいって気が滅入った。折角の郷土エンタテナー石坂びんがさんのギター弾き語りだったが、会場への到着が遅すぎて自由席の席が全て無く、開演寸前まで右往左往してしまった。係りの人が空席を何とか確保してくれたものの、松ちゃんと行ったのに全く離れた別のシートになってしまった。びんがさんの熱烈なファンなら一人席でどこでもいいが私は松ちゃんからの誘いでデートのつもりで来たから少し違う。原因は松ちゃんの約束時間のルーズさ、昔から人に迷惑をかけ気分を悪くする遅刻の悪癖は直りそうもない。残念。
▲私の席は最後列、しかし小ホールだから観覧するには丁度いい場所だった
雨の日も風の日も、MS(モーニングスイート)は桐生市体育協会が主催運営する市民のための早朝体操クラブで無料、入脱退は自由。来月6月で23周年になると言う。私は5年前に骨密度が少ないと警告され、以後極力欠かさぬよう出席している。甲斐あって骨密度は半年で改善、毎日の運動の必要性を痛切に感じたものだ。MSを立ち上げたY氏は参加者のために台風であろうが雪であろうが陸上競技場で待つ、その想いにどんな悪天候でも必ず何人かは出席してくる。強風雨の今朝も私を含む20名ほどが参加。折角の熱意が週に3日間の開催日はやや少なくて惜しい。23年前のスタート当初は週に7日だったと言う。
▲雨天はトラック競技場を使わず観覧席階下のスペースを分け合うように使い、20分程のストレッチ体操のみで終了となる。
6月初旬にビザ書き換えで一時帰国するOKバジこと垣見一雅氏のスケジュールはすでに殆どが埋まり、私たちOKSSの会への総会ならびに講演も14日から16日と決まっている。最後の16日は太田市綿打中学校の要請で全校生徒に対してバジの講演が行われるが、今日は午後から綿打中学校の教頭先生がOKSSの会会長の富澤さん宅へ打ち合わせのためお出でになった。教頭の半田先生もバジを通じてネパールの素朴な人への想いや自分たちの置かれた環境を確認する意味で一人でも多くの学生が感じ取ってくれたらいいと言っていた。話は「富弘さん」に及び半田先生の奥様が若いとき群大病院へ入院され使った病室、ベッドの位置が当時の富弘さんの使った位置で感激し、今でも富弘美術館へ行くと涙が止まらないと言う。
▲バジの講演時間は午前の一校時で約45分、合理的に使いましょうと話し合った。
すっかり登山やハイキングに縁遠くなってしまいMMCのハイキングでもないとフィールドに出る機会がない。月に1回だから全部出たいのだが私の参加率は50%だろうか、次期山行プラン会議には積極的に提案して自分を奮い立たせるが結局ほかのスケジュールが多くて潰れる事が多い。10年、20年前にどっぷり山に浸かったあの時は何だったんだろう。今日はMMC15名の参加で中型バスをチャーターし尾瀬鳩待峠から尾瀬ヶ原の散策を楽しんだ。初々しい水芭蕉が池糖や湿地に高原の春を告げていた。
▲尾瀬ヶ原のビューポイント下の大堀から
いやー、ウマくいった、ウマくいった。いま、ホームセンターで流行?の建設足場の単管、これを組み合わせ12mm厚のプラスチックのパネルを貼り、白地に赤文字でプライスメッセージを書く予定。明日はMMC主催の尾瀬へ行くので今夜はこの辺で
▲水平、垂直バッチリOK
更にオーラ素肌美サロン太田新田店の作業は続く、昨日は松美店長とはなし、大型プライスキャッチコピーを掲げようと言うことになり、ホームセンターのトラックを借り単管パイプなどを運び込んだ。今日は其の事を書くより、昨日の観音院訪問の折、大奥さんに面会できた感動を書いて置きたい。大奥さん(おばあちゃん)は私たちが小学生の頃は50歳前だと思うが手のつけられない大勢のガキどもをまとめ、ゆりかご子ども会なるものを運営していた。100歳を元気で迎えた今でも俳壇の中にいて、この日もNHKに投稿するための作品を書いていると言う。上記の子ども会の遠足の時、50年も前に私が作った俳句の一部を思い出し懐かしんだ。 あきの空 だいふくのような 白いくも これはその時、大変ほめられた事で記憶にあった。実家の目の前の観音院にお住まいだが会おうとしないと数十年も会わない事になってしまう。昨日、100歳でなお元気な大奥さん(お寺のおばあちゃん)に会えたことはバジの活動をしていた賜物だ。
▲テーブルには読んでいた新聞と短歌の本があり、いま尚かくしゃくとしていた
OKバジを支援する会が今年度の大きな柱としている事は、バジの要望であるネパール僻地に図書館建設をすることである。約150万円を一般カンパとは別枠で募集するもので現在80%ほどが集まっている。このカンパを広く呼びかけた時、なんと私の実家の前のお寺が「別の僻地にもう一つ図書館を」と名乗りを上げてくれた。3月に私が挨拶に伺ったが6月にバジが帰国して報告会をする前に支援する会会長の富澤氏も挨拶をしておきたいと今日のアポを取っておいた。
▲地元桐生タイムスにも大きく取り上げられたが1寺院が全額寄付の図書館建設、観音院文庫と我らのOKSS文庫が来春ネパール僻地に誕生する
▲地元桐生タイムスにも大きく取り上げられたが1寺院が全額寄付の図書館建設、観音院文庫と我らのOKSS文庫が来春ネパール僻地に誕生する
オーラ素肌美サロン太田新田店がOPしてから芳しい展開になってないがPR、トレーニング、設備の充実へは怠らぬよう活動している。娘である松美が店長となって指揮を執るがスタッフはYちゃんのひとり、私が加われば3人で2階のスタッフルームでミーティング昼食することも。小4と保育園児二人をもつ娘は自宅から出勤すると大変でパパの協力が大だ。しかしパパが仕事で抜けられない今日のような日は私が3人の子を迎えに行き、3人をいっぺんに歯科医に掛からせる至難の業をする。これも業務運営の策。幸いと途中からパパが来てくれ放免された。
▲歯医者さんとしては大きな医院だな
私の一番新しい趣味が“料理”、2年前に我が家の食卓事情が発端で味噌汁作りから始まった私の料理は今や、日常の食卓作りとなって我が家に貢献している。そんな折、公民館主催の「男の料理教室」に参加、その後そのままのメンバーで「厨房の男たち」を作り自主教室を1年半に渡って開催している。半分ほどのメンバーが入れ替わった事もあり、新たな親睦の宴会をしようと今夜の宴となった。現在11名会員のうち8名が集い、限られた料理教室の中では出来ない大雑談で楽しんだ。
▲やっぱり膝を突き合わせて話をすれば人と成りが見えてきて親しみが増す。年に2回ぐらいはしたいものだ
オーラ素肌美サロン相生店を開店して間もなく東京新宿駅西口で一人、チラシ配りをした事を思い出した。数日前オープンしたオーラ素肌美サロン太田新田店へ広告営業マンが来て大型スーパーなどの入り口を有料でチラシ配布場所として使えることを松ちゃんが知った。急遽、資料を作り直し800部を昨日までに仕上げ、あらかじめジョイフル本田新田店併設のニコモールの正面入り口を1日借り受けた。10時にスタッフを含め4人で出掛け、最後の800部を松ちゃんと配り終えたのは午後4時半。先出の新宿駅西口のときは100人に1人も受け取ってくれなかったが、やはり地方の良さか、3人に1人の割合で受け取ってくれる。運がよければ質問も帰ってくる。気軽なエステサロンに興味のある人はいる。
▲写真を撮る余裕なくジョイフル本田のHPから
母の日の今日、花を持って母を見舞った。一緒に行った松ちゃんが帰り際に一人の患者さんと話をはじめた。以前、母と同室の時期があったようで挨拶をした。そのIさんは利き手が不自由になり左手で好きな絵を描いている。ご自分の病室に案内してくれ沢山の絵を見せてくれた。絵を描くことが一番楽しいと前向きな姿が見ていて嬉しい。花の絵が多いが病室から見た赤城山などの風景もあり、詩が添えられていた。中でも50歳で亡くなったご主人を今でも恋慕う絵とラブレターにはほのぼのとした。
▲写真を撮ると言ったらIさんご自身のお母さんを描いた色紙を抱いた。割烹着、姉さ頭のお母さんへの想いも綴られていた。
小さな色水のインクカートリッジが800円近くもするから6色で4800円、A4サイズで100枚単位でプリントしていると6個のカートリッジが次々に空になりインクストップになってしまう。其の度に「うへー、また800円?」と悲鳴を上げたくなる。インクジェットプリンタのカートリッジが高いのは昔から判っているが、高性能な機器を安く売っておきインクカートリッジで巻き上げる手法に今更ながら腹が立つ。オーラ素肌美サロン太田新田店にPC導入でプリンタも必要になるが今度こそレーザープリンタを考えてみよう。エコのためにも
▲だいいちキャンペーン用にプリントを始めるとカートリッジ費用もさることながら交換が面倒だ
相変わらず寝不足の口内炎は治らない。熱いものや塩気のものは沁みて困る。そんな事を言っても始まらない。今日は前橋の錬太郎③の誕生日と孝行①の家庭訪問がある。錬太郎の誕生祝いはとりあえずパパに依頼で済ませた。オーラ素肌美サロン太田新田店の準備のために家の庭は荒れているが午後3時の家庭訪問までに芝刈りを済ませた。定刻通り担任のH先生がいらっしゃった。学校や家庭の日常の事や進路問題が話の中心だか先日の授業参観の「まじめ」についてH先生の訊ねた。先生も現代の若者が感じる正義や良識に苦慮して、教育者として「まじめ」が押しつぶされる世相にジレンマを感じていると言う
▲生徒1家庭につき15分間の予定では少ないかな
8年前のオーラ素肌美サロンオープンの時もそうだったけど今日開店のオーラ素肌美サロン太田新田店は。特別に招待するわけでもなしオープンを大々的にPRした訳でもないから一般のお客様が来るわけが無い。松ちゃんもスタッフも張り切っているが私は「今日はお客様は来ないよ」と言い切った。結果其の通りになって訪れたのは親しい知人、友人、親戚だけだった。私は予測してネクタイを締めないラフな支度で足らない準備を進めたが連日の忙しさと寝不足で口内炎ができてしまった。今日こそ12時前に寝よう。
▲ヘアサロンヘアーズを切り替えて女性専用店のサロンにしたが外装から雰囲気が出てきた
オーラ素肌美サロン太田店開店前日。新装店内のインテリア小物の確認、リラックスタイムのサービスドリンクのチェック、そして最後の大仕事が駐車場のリニューアル。2日程かけて高圧ポンプで洗い流した後に娘のご主人がパーキングマーカーの引き直しをしてくれた。どこの駐車場を見ても数年すると白線と黒いアスファルトの間に亀裂が生じてしまうのは白黒が太陽から受ける熱の差が生じるかららしい。ここでも凸凹になったラインを面倒を見ながら塗料を流し込んでいた。
▲店内の作業をほぼ終えて亭主の作業にチョッカイを出しながらも手伝っていた。
オーラ素肌美サロン太田店開店2日前、ポスティング用チラシつくり、そしてタオルの補強縫い、ピンクのタオルに赤い線で補強し始めたら3ダースを終えたところで下糸が終わった。ボビン下糸を巻いたがうまく巻き取れず肝心な赤糸が終わってしまい中断
▲ボロミシンのせいにしていたが下糸取りの操作が正しくなかった
本当に良いご夫婦だなと感じ、一緒にいる時間がさわやかだった。富弘美術館が発足する以前の20年前に宮崎県で詩画展を開催した牧師佐藤さん。明るくユニークで生活や仕事に富弘さんの詩画を上手にとり入れている。4年ぶりで今回は東京に住む息子さん達と合流して来県、 美術館や富弘さん宅を訪問する前に旧東村のゆかりの地を数ヶ所ご案内した。今日は奥様ともいろいろお話をする機会があったがhttp://www1.bbiq.jp/sheeps/pastor.htmlにあるように本当に美しい人だと本当に思った。お嬢さんの描いた絵は本当だと思った。
▲旧東村地内で野の花に真剣な表情でカメラを向けるご夫婦
S家の通夜と告別式があった。ヘアーズに出ずセレモニーとしてほぼ一日かかった。スーパーに行かなければならないが昼からビールを飲んでしまったので家に帰っても車の運転は不可。4年前に買った埃だらけのマイサイクルをホースで水かけブレーキと空気圧点検して買い物に行ってきた。駐輪場にある沢山のサイクルの中でも4年前に吟味して選んだマイサイクルは一際カッコよかった。
▲4年前免停を余儀なくされた時に買ったが良い季節になったからモーニングスイートに乗ってゆこうか
まもなく開店するオーラ素肌美サロン太田店の新スタッフ、Yちゃんは昔、某エステサロンへ勤務していた。オーラ素肌美サロンのエステは一線を画すがやはり飲み込みが良く、使えるようになった技術個室でトレーニングを繰り返している。私の頭も秒読みの段階の中いくつもの用件が廻っている。富弘美術館の春のボランティアも始まっており今朝は数名の参加会員さんに電話をした。ここ数日は用件を整理し優先順位を書き出さないと落ち度になる。今朝のような緊急用件(S家)が入ると焦る。でもタイミングよく5日は宮崎から来る友人を迎えるに支障はなかった。
▲アットホームな店内で技術トレーニングする娘とYちゃん
更に続くオーラ素肌美サロン太田店の作業、桐生店の雑務をこなしてから必要雑貨などを購入しながら私が太田店に来るのはいつも午後になってしまう。昼食も摂らず太田店に到着すると良君(娘のご主人)が屋根に上ってイルミネーションを外していた。イルミネーションは闇の中ではきれいだが日中にさまざまなコードが露出しているのを見たくないものだ。だけど2箇所の大イルミネーションを取り付けるときは、やはり大変だった。二つの個室技術室では松美とユカちゃんがモデルを使ってトレーニングに入っていた。
▲だんだんエステの雰囲気になってきた
