2009年4月アーカイブ

何と我が家で連続のアクシデント続きの真っ只中に、父の見舞いに来てくれた親戚の一人に癌が発見され、緊急に手術をしたようだ。幸いにレベル1と言う初期で小さく、切除すれば安全言うことで大きな心配にならずに済んだ。私は父の看護、松ちゃんは仕事の都合が付かず、見舞いに行けたのは夜の7時になっていた。その親戚の人はもともと明るい人で「ラッキー」とはしゃいでいた。見舞いに行ったほうも救われる。
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▲太田市にある県立癌センター、新しく建替えて巨大なホテルのようだった。
3月からのアクシデント続きで、かなりの予定をキャンセルしたが、従姉妹の看護応援で恒例の富弘美術館を囲む会の集いを今年も開催する事が出来た。18回目になる今年の集いはテーマを「松木沢」とした。学生時代の富弘さんが渡良瀬川源流の足尾、松木沢渓谷の岩場を登攀したことは著書やエッセイで紹介されているが、富弘さんもその後にその岩場を見ることは無かった。私たちは昨年足尾町に交渉し、関係者しか通れないゲート許可をもらい下見した。好天の中を70名近い参加者と共に富弘さんと当時一緒に登ったSさんも加わり40数年前の青春を語っていた
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▲10時、富弘美術館へ集合し富弘さんを中心に記念撮影、カメラマンは群馬県支部の大澤和子さん
今日は結婚40周年だから、のろ気させてもらおう。知り合ったのが松ちゃんが16才、私は18才。ひぇ~、そんな時代があったのだろうかと思うほど歳を重ねてしまった。結婚は松ちゃんが20才、私は22才だった。今、世間のその年代の人を見ると何とコドモな事か、その時、良くぞ親たちは許したもんだ。出来ちゃった結婚だから仕方なかったのか(^^;) 今でこそ見る影もないが当時の松ちゃんを私はひとり、「相生町2丁目では一番いい女」と勝手に思っていた。いや、そのくらいの威勢がないと結婚なんて出来ないよ。でも彼女あって私が成長した事は間違いなく、結婚は共に学び続ける友でもあるようだ
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▲私が用意した記念ケーキだが、父の看護などでこの日は祝杯はあげられなかった
実は愛猫ミミちゃんも近ごろ元気が無いのである。既に16年以上飼っているので人間なら80歳以上の高齢、ここ数年は私が彼女の面倒を殆ど見るので、必ず毎朝、体操から帰ってくる私を待っている。が、父の入院以降、餌は与えてもらっているが私が毎朝しているような顔拭き、体拭きをしてもらえないので、きっとストレスが溜まってしまったのだろう。あまり餌も食べず自分のねぐらから出て来ない。昼近くなってしまったが昨夜の父の付き添いから帰ってきて充分にスキンシップをしてやったら少しは元気になったような気がする
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▲やっぱりミミちゃんだって大事に愛されているって感じないと元気が出ないよね。
 
とうとう今週1週間連続して父の病院へ付き添いで泊まった。午前に従姉妹が手伝いに来てくれるので、交代して自宅へ帰り、シャワーを浴び、あらかたの用事を済ませて夕方また交代して泊まった。午前に友人S宅の法事があったので、いつもより早く帰り身支度した。法事の席で話題になったのは高齢者の怪我、今日の法事の主であるおばさんもとても明るくて元気な人だったが、僅かな油断で圧迫骨折、以来体調を崩したのが致命傷となった。今の父がそうで、母の二の舞にしたくないと家族で誓い、元気に退院させたいものだと思っている。
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▲法事の帰りの桐生市の美しい風景、今年は花見も出来ない緊迫の春だった
いったい自転車をどんな乗り方をしてるんだろう。GC1のこの赤い自転車は中3の3学期に以前の自転車が修理をすると高くつくというので買い換えたものだ。変速機など何も付かないシンプルで安い機種だが選んだのは彼だ。どうも飽きてきたようで直らないほど壊れれば新しい自転車の乗れるとでも思っているのか、そうはさせないぞ。これがたとえ彼のところに一時給付金の2万円が来ようが物をもっと大事にしたり、我慢して、工夫して使うことも大事だ。
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▲したがって私はこれから自転車ショップへ修理に出す
3月9日の私から始まったアクシデントは、未だに我が家のリズムを狂わしている。予定していた囲む会のバスでの長野詩画展行きを昨夜、断念した。私の梯子落下については自力で回復を図ろうとしたが、最大の損傷部である左肩の痛みは取れず、腕も上がらぬままだ。昨夜も痛くなったのでこれもムリと判断、父の付き添いついでに外来整形で診察してもらった。レントゲンでは以上なし、筋が切れているかも知れないと言うことでMRI診断もしたがハッキリ分らず来週の検査待ちになった。
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▲20分ほどの検査は侠さと不快異音で人は嫌がるが、寝不足で疲れていた私はぐっすり寝ていた
入院して約40日、手術してその後容態が不安定になり、半月もの間食事を取れなかった父に始めての食事が出た。食事が出ることを告げられた父は昨夜は神経が高ぶったのか、なかなか寝付かれないようで付き添っていた私もとうとう一睡も出来ずに朝を迎えた。私も半月も絶食状態(点滴で栄養は摂っていたが)は経験が無いが、さぞかし辛いものだろう。そして8時、待ちに待った朝食が運ばれてきた。聞いて分ってはいたが食器が二つ並んでいるだけの献立。重湯に実の無い味噌汁。父はう~んとうなった。
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▲しかしスプーンで口に運んでやると「うまい、」と言った。重湯をうまいといった。
今月5日に11日間の「第4回OKバジの活動を訪問するツアー」から帰ってきたメンバーが集まり編集したVTRの鑑賞と写真の交換会、そして参加した一人ひとりが旅の印象を語った。私たちOKSSの図書館とは別に観音院が独自に図書館を建設するというビックプレゼントを携えてのツアーは今までに体験したことの無い感動を抱えて帰ってきたようだ
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▲今回は20代の若者も2名参加の華やかなものになったようだ
ここ数年、庭の草刈をシルバー人材センターの方にお願いしている。それも年に2回ほどで、時間の取れる時は松ちゃんが楽しみながら気の済むまでやっている。「草むしりは松ちゃんの趣味だろ」と言うと少し怒るが、誰もやってくれないから私がやると言いたいのだが図星だから少し怒るのかも知れない。先月今月の当家はアクシデントパニックで、家の中の掃除もままならずシルバーさんにお願いしたら即、始めてくれた。
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▲シルバーさんの仕事はいつも丁寧できれいだ
この1ヶ月、家で落ち着いた食事をしたことが無い、それも仕方ないことだが父の病院からの帰りに、うまいうどんがどうしても食べたくなった。富弘さんなどを案内したこともある近所の春見屋はどこにも負けない、うまいうどんを食わせる。午後の2時だったので果たして店が開店しているか恐る恐る行くと他の客は誰もいないが、やっているという。いつもの海老天もりうどんを注文すると「これだけだけどタラの芽があったから」と海老と一緒に添えてあった。これは嬉しかった。家で落ち着いた料理も出来ず、旬の山菜天ぷらなど作る余裕も無かったので思わずニッコリ
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▲店のおばさんが「仙台の菅野さんは最近来ない?」と聞かれた。そう言えばあのご夫婦もこのうどんの大ファンであった
2ヶ月も前から決まっているハイキングクラブMMCの山行日、「春の赤城、鍋割山」である。今の私の家庭環境ではムリもあったが、だからこそ歩きたい山だった。鍋割山を姫百合駐車場からゆっくり歩いても1時間半、穏やかな登りは今の私の体力と精神安定にもピッタシだ。参加者も少なく島田会長と私の車のマイカー利用で済ませた。山桜も満開で山の木々は春の息吹を吹いていた。あ~っ、趣味に山登りがあってよかったな~としみじみ感じたハイキングだった。
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▲汗が軽くにじむ程の気温、10組程のハイキングが山頂でお弁当を広げていた。
父の病室からこのマシンが片付くことになったのは嬉しい。父が怪我で入院して20日後、急に容態が変化し、危険状態になった。以来、私を中心に付き添い泊を続け、一定の安定を確保することができ、回復に向かっている。大仕掛なこの酸素吸入器は10日ほど休むことなく回転して父の命を繋いだ。
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▲今日はお役目ご苦労様と病室から送り出した。
自分か開催する会議だから充分な資料を準備する必要がある。何とか、ぎりぎり間に合うものだ。昨夜は父の病院へ息子が付き添いで泊まってくれたので一気に資料作りをした。富弘美術館を囲む会の春の役員総会で今年度も支部長をさせて頂くことにした。色々な意味で若返りに刷新しなくてはいけない時期だが、囲む会の大きな使命を終えているので今後どのような形で富弘美術館にエールを送り続ける事が出来るかがポイントだと思う。
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▲役員90%の出席率で闊達な意見が交差した。今年度活動計画も即決で決まった項目が2項あったのは嬉しい
その父が入院でひと月近くが経った。我が家のメインクロックは談話室の壁に掛けてある振り子時計だが新築時に買って以降、分銅巻上げは父の仕事だった。定期的に巻き上げていたから止まる事は無かったが私も忙しくて気が回らず、分銅がダラリと下まで下がってしまうことがたびたび起こってしまう。
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▲なんともだらしの無い時計と変ってしまう
昨夜と言うか今朝の未明だが父の病室に付き添っていたが、とんでもない事が起こってしまった。強制酸素吸入や様々な点滴がつながって不快なのは充分分るから可愛そうだが安定剤で寝てもらっていた。回復傾向なので昨日から安定剤がなくなり、「眠り」から醒めてきた。僅かながらコンタクトが取れるようになり危険回避のための固定アームバンド緩めてあった。深夜3時、父の異様な咳でベットの父を見ると気道に入っているパイプを何と抜いてしまっているではないか。緊急事態発生、ナースコールを押すと二人の看護士が駆けつけ異常に気づき、当直待機の医師を呼び対処した。その間20分程だろうか生きた心地がしなかった
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▲結果はオーライだったが医療スタッフの少ない深夜はやはり危険
宇都宮の友人平野さんご夫婦も立派な人だ。この日は父の見舞いにも来てくれたが、その前に東京で療養生活をしている伯母さんの見舞いと調髪をするために早朝、宇都宮を出たそうだ。話題小説「悼む人」でもどのような人に愛されたか、どのような人に何を感謝されたかが大きなテーマとなっているが同居の経緯が無くても充分心の通った甥、伯母の関係があるからだと思う。正にいま自分たちが周囲の人にどのように接しているかが大事なのだ。私のところにも寄ってくれたが今の父に会ってもらう訳には行かず、現状の説明だけをさせてもらった。
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▲平野家の近況もにわかに忙しくなり早々にお帰りになった
父の付き添いの交代時間を使って月に一度は行くと決めた墓参りをした。午後になってしまったが自宅近くの上空が騒々しい、見上げると桐生名山、吾妻山の裾あたりから煙がたなびいている。山火事のようだ。ヘリコプターが2機消化活動をしていた。実家高橋と山岸の墓、2ヶ所を済ませて街中を通り抜けると先ほどの消化活動のヘリがモーニングスイートを行う陸上競技場を給水基地をしてフライトしていた。
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▲さすが、日没前にはほぼ鎮火させた。

謝罪

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何度か書いた、3月の山岸家のアクシデントは9日、山小屋、陽山舎での梯子落下がスタートだった。そして月に一度の墓参りも決め、墓地の清掃整理も済ませた。もうひとつ落としていたのが陽山舎の伐採で、昨年11月14日から始まり今年3月9日が最終日だった。この間に約30本ほど水楢などを切り倒したが、私は一度も命ある「木」に伐採の事をお願いしていなかった。その事に気がついたら体が熱くなり冷や汗が出た。いくつかの道具とお神酒と塩を持ち一本いっぽんの木の株に謝罪してきた。
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▲こんな簡単な事を私は疎かにしてしまった
昨日は天皇皇后ご結婚50周年だった。それに関連した記事を朝日新聞から詳しく読んだ。知れば知るほど天皇も美知子皇后も立派だし、美知子皇后の実弟、日清製粉会長の正田氏と皇室との交流の様子は興味を引いた。同じ10日、OKバジが講談社吉川英治文化賞を受賞の日で本来なら帝国ホテルで行われる贈呈式に私も出席出来たのだが事情で代わってもらった。予定では17時からの授賞式前に、ご結婚50年記念記帳をしているので皇居坂下門へ行く予定でもいた。今朝の新聞を見ると午後1時ごろ両陛下がその記帳所へ来られたと写真入で報道されていた。
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▲もし私たちが行けていたらお会いできたかも
付き添っている父の病院で久しぶりの人に会った。私が理容現役時代の古いお客様で今は隣町に済んでいるので、十数年ぶりと云う事だった。多分同年代だが糖尿病で失明寸前の手術をするのだという。昔は彼のお父さんもお客様で親子で来ていた。ある日から突然、彼が消えた。お父さんに聞いても、なぜ、家を出たのか不明と言うことでずっと私も不思議に思っていた。思い切って、その事を聞いてみた。長いこと不思議に思っていた親子関係がやっと分った。
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▲その後も家族中が癌などになり大変な環境かと思えば本人の底抜けな明るさでしっかり家族をまとめていた
このようなメーカーの協調性の無さにあきれる。すっかり厨房の男になった私が腹を立てているのはラップなどのマルメモノのカッター位置である。左の大きい物から、クッキングペーパー、これは引き出した箱の一番下にカッターが付いている。ラップフィルム、ラップは殆どのメーカーが箱のツバ先にカッターをつけている。次にアルミホイル、これは箱の一番上に、だからカッターが見えない。こんな訳だから、同じ感覚でカットすると箱の厚み分の差がでるし、統一性が無いため使いにくい。
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▲業界でどこか一箇所にカッターをつけるようにできないものですかね。
父の入院先へ2日連続で泊まった。小康状態は保っているが、高齢でもあるから誰か家族は付かないと可愛そうだ。私的に今週は宇都宮行きも含め大きなスケジュールがで詰まっていた。今日のGC1の高校入学式は私が保護者であるから、外すわけに行かないので3時間の長時間だが行ってきた。週末にある2件については、私も残念だが事情を説明して代わってもらったり、欠席のお願いをした。3月9日の私のアクシデントスタートから1ヶ月、まだまだ。
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▲今の忙しない私の気持ちとは裏腹に、あまりにもゆっくり流れる入学式
これも嬉しい、凄いホットニュースだ。いつもお世話になり、鞭撻を仰いでいる富澤さんと今週は共に行動する事が多いので打ち合わせをした。11間のネパール山間地の支援ツアーで帰国したばかりで疲れも取れていないようだったが、OKバジの情報や、ネパールへの寄贈図書館などの話を聞いた。その最後に孫のM君の冊子を紹介された。M君は今春、北大を卒業、同時に博士論文を完成させた、それである。殆ど英文の論文は有効な薬学論文で、直ぐにでも新薬に応用できるものだそうだ。
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▲富澤家から博士誕生、これは大いに自慢にしていい
宇都宮の親友に初孫ができた。この目出度さは私も長く待たされた。山の旅で出会った宇都宮のHさんとは十数年来の親しい付き合いだが、我が家と比較すると我が家のほうが家族が多い分、冠婚葬祭も必然的に多い、更に問題が発生するのも我が家のほう多く、いわばニュースに溢れているわけだ。だから久々のホットニュースは桜が咲いたより嬉しいことだった。
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▲若いママがどんな風に奮闘しているのか松ちゃんと宇都宮へ見に行ってきた。

本を読みたい。新聞も読みたいと思い、部屋へ新聞を持ってくるが読まないうちに古新聞と変って行く、時間の振り分けや使い方が下手なのか、あるいは僅かな時間で読みきってしまえばいいのか、新鮮な質の高い情報が入りにくくなっている。

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▲読まずにたまってしまった古新聞

 
ゴム動力飛行機もこのくらいのモノになると充分インテリアになる。先月のMMCバスハイクで行った所沢航空記念公園の、ミュージアムショップで購入したものを組み立ててみた。同ショップの天井から吊るされた数機のモデルをみて、キットを購入したかったが機体の製作者が昨年亡くなり、販売する機体が無いのだと言う。それなら、なお更欲しくなる。粘って粘って、吊るしてある完成機を譲ってくれと何度も頼んだら、熱意が通じてこの機体が手に入った。
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▲機体名な「航研機」だそうで日本の航空幕開け時代の研究機で、そのままの名がついたもの

観念

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人の事には無頓着、不安や心配からは軽口で逃げるというのがこれまでの父の印象だった。さて、自分のこととなるとうるさい、軽度な骨折だが手術して固定してしまった方が早くリハビリに進める。と言うのを得意の軽口で「ほっておけば直ぐ治る」と逃げていた。そんな訳がない。1日も早いリハビリに移行しなければ様々な問題が起こる危険もある。やっとの説得に了解し午後の手術を待っている。それでも準備に来る看護士さんにはどんな程度に痛いのか最後までうるさい患者だった。
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▲今はたった一人の兄弟同士になってしまい、自らも大変なのに父のお兄さんは術前に来てくれた
GC1への高校進学プレゼントのノートPCとデスクが同時に届いた。ガラスデスクは友達と組み立てたようだが、PCは自分で設定を済ませたようだ。もっともインターネットは私の部屋に無線ランが設置してあるので、ほぼ自動的に設定できるようだ。ハードディスクやメモリーの容量もUPに変更して発注したので、さぞかしサクサク動くのだろうと彼のPCの前に座って起動してみるとパスワードログインが出る。「おい、ロックしてあるのか」と言うと「PCはプライベートのカタマリだから教えないよ」と来た。まったくぅ、今まで自由に私のPCを占領していたくせに。
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▲インターネットサーフィンばかりしないでしっかり勉強してくれよ
毎月第一水曜日は「厨房の男たち」という料理教室があるのを今日はすっかり忘れてしまった。3月のアクシデントの名残が無いわけではなく、その他に春の忙しさがノーミソを狂わしている。ん?これって認知症の始まりか。それに天候のせいか、料理教室の欠席ついでに夕飯の支度が面倒だった。そこにGS1がピザを作りたいと申し出てきたので、ラッキー!。丁度、先月の「厨房の男たち」でピザを焼いたので材料もある。トッピングの材料だけを買って預けた。4枚のピザを生地からつくり3枚目を私が食べた。う~ん、うまい。さすが私の料理の師匠GC1。
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▲と、思いきや、明日の朝で食べるからと夕食席に着かなかった息子の分をGC1はタイマーかけずにご覧の通り黒こげ、師匠もヤッパ素人ね
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