2011年4月アーカイブ
GC2の真優ちゃんにハッピーバースディーのメールを送った。「何歳になったと思う?」と返事なので「7年後ははたち!」と答えた。答えておいて‘へっ?'と思った。たった7年後にははたちの女性になるのか~、その時にワシは、あ~、やだやだ。
▲先日熱が上がらず故障のアイロン、無傷でデザインも素晴らしいが買ってからすでにハタチ
天気よし、空気よし、笑顔よし。富弘美術館を囲む会群馬県支部の恒例、春の集い、今年はわたらせ渓谷鉄道神戸駅から草木ダム下のわらべ工房までの比較的短いコースをのんびり歩こうと集まった。企画出しが遅れたので参加者は50余名だった。静かに晴れ渡り絶好である事と最初から富弘さんが元気な姿で参加してくれたので参加者の皆さんは大喜び、わらべ工房では焼きそばの昼食と下手な私がリードして皆で歌を歌った。下手でも楽しかった。
▲遠く熊谷からのファンや栃木県支部も参加してくれありがとう
天皇、皇后両陛下が昨日27日大震災の被災地へ直接出向き見舞った。これまで都内や近郊の避難所へ数回にわたって見舞っている様子をTVなどで見たが高齢でもある陛下には大変なご苦労と思われた。今回の南三陸町では廃墟となった校庭にお立ちになり静かで深い礼をされた。この行為は私たちに大きな励みになる
▲明日は我家も喪明けの初国旗掲揚日、復興の願いを国旗に書いて
開館5年になる熊本県芦北町の星野富弘美術館では凄い事になっていた。以前から5周年には行きたいと思っていたが、何と開館5周年記念に富弘さんと地元画家坂田燦先生の二人展が開催される事になった。坂田先生は富弘さんの作品が初めて九州に渡った時、大変な尽力を尽くされ、その信頼関係から芦北町に富弘さんの第二の美術館が出来たほど、坂田先生は常々「絵は売ろうと思っていたら書きたい物が消えてしまう」とおっしゃって殆どの作品を手元に置いている。だから富弘さん同様、作品展をしようと思えば今回のような強みがある
▲富弘さんは主にペン画、坂田先生は木版画でコラボレーション5月25日から8月21日まで
これは大変だ。大震災で桐生市の西地区はかなりの家の屋根が壊れた。私の住む相生町での被害はあまりなかったがナントお隣のKさん宅の屋根が壊れたいた。今風のスレート瓦、これはヘアーズの寮や陽山舎でも使っているコロニアルという商品で釘止めだから落ちないと思っていた。第一発見者の長男の部屋から見えるが、今日まで気がつかなかったようだ。もちろん当のKさん宅の誰も気がついていないので、これ以上傷まないように報告に行った
▲Kさん宅からは見えない位置でもあり屋根の作り自体2、3枚のスレートが外れたのは目立たない
久しぶりに愛媛の森ともさんから電話が入っていた。こちらから掛け直すと「ラジオの山陰放送に出て!」というとんでもないお誘いだ。とに角この人のパワフルさならナンでも出来ようが(彼女の運営するHPを見れば一目瞭然)私のような者に難しい話だ。聞くと10年も以前に荒井先生のWEB講座で知り合った仲間が出演したラジオを友達リンクで繋いでゆく方法(タモリの笑っていい友のように)らしい、元気な森ともさんが私に次を振って来たんだけど森ともさんの元気に圧倒されて受けちゃった
▲彼女のフィールドは文学、料理、育児、農業経営、PC、地元ラジオ、など絶対一日を30時間使っている人だから次を受けるには手ごわい
正確に言うと、私の貸家のファミリーで母が住んでいた家が空いているので使ってもらっている。いわば貸し借りで、オーラ素肌美サロンの土地はこのファミリーの親が私の友人と言う事で借りている。その次男息子のMちゃんが結婚して空いている私の母の家を新居とした。しかし会う事は殆どないので私はMちゃんの子ハルト君が生まれたのは知っているが会うのはこの日が初めてだった。宇都宮のHさんの孫も2歳ではると君と同じ名前だった
▲既に2歳になっているハルト君はサッカーボールが好きなようだ
今週の初めに片品村にある‘片品むらんてぃあ’へ行って囲む会の出来る支援の方法を探ってきた。基本的には被災者避難の方を富弘美術館へ招待して一時でも心安らぐ時を過してもらおうという気持ちだ。むらんてぃあの担当者の話では今月25日過ぎに長期滞在の形が決まるだろうと話していた。折りしも原発事故現場では法的な立ち入り制限が下され、いよいよ深刻になってきた。
▲今日の囲む会役員会は6月以降の実施をめざしての会議になった
となりのみどり市は市長選挙も市議会議員選挙もまったくの無風状態で全員当選が決まっている。これは市民が政治無関心の表れで決して好ましい事ではない。我が桐生市はどうか、市会議員選挙は定数22名に立候補者33名で激戦区である。若い新人も出て市勢とは裏腹に活気がある。問題は市長選で告示前日までは現職のみで対立候補なしだった。そこへ勇気ある人が立候補した。この人は前回の市長選でも立候補した経緯があるが「無選挙」は公明選挙の崩壊と危惧しての事のようだ
▲陽が落ちても近くの交差点でひとり選挙に感心を持つよう訴えるE市長候補、左の車の近くに奥さんらしき人が見えて安心した
市内に住んでもスポーツに縁のない人には、ここが何の施設なのかも分らなかったのでは、以前は「スポーツで良い汗流そう」なんてフレーズで錆びた大きな看板があったが撤去され、いわば表札がなかった。MSを紹介する時は商業高校と元宿浄水場の間にあると説明していたがスッキリした良い看板が出来た。
▲現在の参加者は30人前後、この看板をみて参加して欲しいな
東日本大震災には様々な形で沢山の人たちがボランティア活動に入っている。桐生市でも連日桐生タイムス紙に必ず一つくらいのボランティアがニュースになっている。その中で泥かきのボランティアを社会福祉協議会が募集していた。交通費の実費を払い、その他全て自己解決で準備して参加するもの。Sを一緒に誘って登録した。
▲TVには写らなかったが日立港から出荷待ちの新車が大地震で燃えてしまった写真
数年ぶりに見舞いに会う曾ばあちゃんの為に行きながら途中のスーパーでGC2真優ちゃんはバラの鉢植えを買った。介護施設にいるおばあちゃんは年齢のせいもあり分るだろうか心配だった。しかし心配は無用だった。手を広げて数年ぶりに会う曾孫の見舞いに「嬉しい」と何度も言い手を握り離さなかった。連れて来てやって本当に良かったと思った。
▲途中、トイレに立ったが帰ってくると又しっかり手をつないでいた
富弘美術館を囲む会群馬県支部にも何か出来る事はないだろうか、先の役員会議で例年各地の花の詩画展へ計画していた旅費を片品村に原発事故で避難している方たちへの富弘美術館招待というサービスを行う事で話が進んでいる。先週電話でアポをとり役員さん3名と片品村へ説明に行ってきた。私たちが考えている以上に企画の仕方が難しく提案書を一時持ち帰ってきた。
▲片品役場別棟に「片品むらんてぃあ」の事務局があり担当のT氏から事情を聞いてきた
母の一周忌、それにしても大震災で家族や親を亡くした人を思うと辛い。父が早世だったので最初から母子家庭だったような私も母は昨年90歳まで生きてくれた。生きていてくれた事が私にはありがたかった。法事で寺の住職が法話で言っていたが「良かった事に全て感謝」。大震災で今大変な方達も数年、数十年後に、あの時があったから今が幸せだと思える日が来ます様に。
▲母の墓の脇にあった大谷石の塀は今回の地震で倒壊、市指定文化財(旧森秀織物)が丸見え
まるで今の日本は戦争状態じゃないだろうか、大地震、大津波、原発事故でたくさんの方が避難している。そして余震とも言えない大きな地震は今日の午前にも起こり、まるで敵の襲来のようだ。経済は疲弊して人は表に出ない。日本中で節電して傷んだ建物の補強に時間をとられる。不謹慎かも知れないが、この大震災を経済復興のチャンスととらえ内需から活発にしよう。
▲そんな訳でこれまで自室にはTVを持ち込まなかった私のデスク横にも情報取りのTVを置いた
GC1の進路方向がやや見えてきたようだ。今の若者には夢がなくて結果どんな仕事をしたいのか分らないようだ。GC1も1年前はまったく方向が掴めていなかったと思う。ここでにわかに夢を描き始めたように「国際自然環境アウトドア専門学校」なる所から資料が届いた。もちろん彼が請求して事だが学科は6、コースは11に分かれる。希望を聞くと「山岳プロ学科」を目指したいと言うが
▲今やアウトドアも大きなビジネスフィールドの枠にあるから、いいかも
12日に再度の手術をして2日目、リハビリが始まっている。一昨年の初めての手術はGC1も高校一年の夏休みだったが不安なようで私が毎日半日ほど付き添っていた。今回はすっかり要領を得て一日1回着替えなどの必要な物を届ければ済む。狭い相部屋は丸椅子が一つでゆっくり付き添うスペースもない、この病院は私も30年以上前にお世話になったが増築の繰り返しで大きくなった分、旧舘が耐震補強だらけで痛々しい。
▲夏までリハビリだから高校総体は諦めざるを得ない
8日の囲む会の会議で決定した「震災で群馬県に避難している方を囲む会が富弘美術館へご招待する」件で最大受け入れ先である片品村へコンタクトを取った。私たちの案が理解され18日に説明に行くことにした。囲む会が負担するのはバスのチャーター代、昼食、入館料となるが、みどり市運営の富弘美術館は教育委員会の管轄にあるので後方からの支援をお願いした。尾崎氏はみどり市初の女性教育長で前副市長の松山氏同様、囲む会に深い理解を示してくれた。
▲教育長にも面識のある大澤ご夫妻が同行してくれた
いろいろな場所で様々な方たちが大震災の義援金を集めている。この際ムリしてでも何度でも差し出すべきと思う。早朝体操MSも震災直後から募金箱を用意して競技場会場に毎朝置いた。先週1ヶ月が経ったので一区切りとして地元紙桐生タイムス社へ届けた。MSは参加しやすい夏場は50~80人が参加するが募金を集めた早春は30人ほどだから108360円の義援金の平均額は高かった。
▲桐生タイムス社で会長の吉田氏と会計の吉田みゆきさん
「遅くも午前10時までには入院手続きをしてください」と言われているのでMSで集めた義援金を桐生タイムス社へ届けるのは吉田会長と会計さんにお願いしても朝の一連の作業を済ませてGC1を前橋の病院へ連れて行くのは忙しかった。入院手続きを済ませ午後は時間が取れそうなので先日、囲む会で決めた片品村避難所へのボランティア策の会議をするために役員さん数名に急遽集合してもらい素案つくりをした。夕刻、Sに借りていた大ハンマーを返却に行くとまた大きな地震に遭遇した。福島で震度6弱は桐生市では5強か
▲夕飯までにはまだ時間があるのでSの園芸作業もサポート。
今回の大震災で桐生市内は西側の堤町あたりの被害が顕著だった。私の住む相生町は以前から岩盤がしっかりしている土地と聞いているせいか被害が少なかったようだ。それでもあの揺れば初体験の凄さだったからナンでもナイ訳がない。ヘアーズ店舗の芝を囲む縁石3本が湾曲し沈んでしまった。とても素人で修復できる物ではないがウチの松ちゃんはキビシイ、「マスター、曲がってみっともないから直してね」これだもんね。
▲バールや大ハンマーでもスンとも動かないので芝を切り、車のジャッキを横から当てて正位置に戻した。
う~んよわった。これで何度目か、GC1の左アシはすっかり故障くせが付いてしまった。2日ほど前の部活動最中に中学時代から痛めやすい左ひざを又やってしまった。松葉杖で近くの整骨院へ通ったが一昨年半月板の手術をした前橋の病院へ診察に行った。そこでの診断は決していいものではなかった。当の本人は高校総体を視野に入れていたので納得しないがそんな場合じゃないだろう。
▲上毛泌尿器科として30年以上前に始まった病院は今日本でも屈指のスポーツ整形病院
MS(モーニングスィート)でもグッドアイディア、群馬県の土木事務所では公共私設や公道の清掃(ゴミ拾い以外)の清掃作業を10名以上のサークルなどが3回やって公式な書類を提出すると00000円の報奨金が出る。吉田会長が持ってきたこの話う~ん、こりゃいいと私はノッた。以前から陸上競技場駐車場の清掃作業はこれにピッタシ
▲囲む会のこのアイディア、買った!
う~ん、グッドアイディア!私が預かる富弘美術館を囲む会群馬県支部の役員総会で今年度の活動予定が議題の時、前橋から来たSさんは「この大震災で県内に避難している方を富弘美術館へ招待したら」と言い出した。毎年全国で花の詩画展が数ヶ所でありバスなどで見学参加していたものを今年はそのバスを被災者の方の富弘美術館までの送迎に使おうというもの、そして私たち会員と共に手作りの昼食を楽しんでもらうこのアイディア、グッド。
▲やっぱり人が集まれば文殊の知恵
男の料理クラブ「厨房の男たち」も平常通り教室を開きました。今日の献立は魚あれこれ、日頃のウデを被災地の炊き出しに活用出来ないだろうか。
▲ブリの照り焼き、さんまの蒲焼、そしてアジのムニエル
大震災でいろいろな場所で様々な催事が中止になっている。考えは様々だが私は出来るだけ催行したほうが良いと思う。人が動けばお金が動き、経済の血液が流れます。経済が活発でなければ長期する被災地への支援は無理です。富弘美術館を囲む会群馬県支部を預かる私は恒例の富弘美術館を囲む会群馬県支部の集いを今年も平常通り催行します。
▲コースは神戸駅=わらべ工房=ダム下公園です
このあたりは(どのあたりだ?)4月3日が旧桃の節句だが、それらしい気配がまったく感じられなかった。ニュースにも地元新聞にもスーパーなどのお店でも関連する物が並ばなかった、と思う。被災地を想っての事か仕方ない。それでも近所には早咲きの桜が咲き始めた。今日の嬉しいニュースは大震災のためにソフトバンクの孫正義社長が個人として100億円の寄付をした。やっぱり立派だな、機会があったら携帯をソフトバンクに変えてもいいな
▲富弘美術館のサポーターさんから頂いたウサギ雛
今回の県会議員選挙ではじめて投票所への入場券がシークレット圧着ハガキで来た。しかも一枚のハガキで4人分の券が印刷されている合理化。因みに我家の有権者は3名だから3マスに名前がプリントされてハサミで切り離す方法。これで充分、経費節約
▲遅いけどよく気がついて導入した
今日から4月、この新年度を特別新たに迎えた気持ちだ。この春は日本中が悲惨な歴史の中に立ち向かう強い意志が芽生えるだろう。暫くは生活用品の欠乏もあるだろう。電力不足も長丁場になる。それらをこれからの生活に組み入れて行く覚悟が必要だ。ヘアーズとオーラ素肌美サロンの電力も発電機などで考える必要もある。とりわけ自宅照明用にアウトドア用品を整備した。GASランタンはOK、コールマンのガソリンランタンは何年も調子が悪く山小屋に放置しておいたが分解して徹底究明して完全回復した。
▲取説では構造が分らずバラしてみて初めて原因が分った
